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口コミを幸せの循環に。印刷業から生まれた地域プラットフォームの挑戦。
ヤマゼンコミュニケイションズ株式会社
代表取締役社長 山本 堅嗣宣
1974年生まれ、栃木県出身。大学卒業後に東京で製版を学んだ後、アメリカの製版会社に3年間勤務。1999年に家業であるヤマゼン印刷株式会社(現:ヤマゼンコミュニケイションズ株式会社)へ入社。2000年に地域情報サイト「栃ナビ!」を立ち上げ、事業転換を主導した。2016年、3代目代表取締役社長に就任。
※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。
この記事でわかること
- 印刷会社から地域をつなぐ会社へ転換
- 「栃ナビ!」が生む、前向きな口コミの循環
- デジタル印刷と「7つのシンカ」で成長へ
- 「何も否定しない」風土が社員の挑戦を後押し
- 地域課題をビジネスで解く「ローカル・ゼブラ企業」へ
祖父が始めた小さな印刷会社。継がない選択肢はなかった。
当社は1950年創業で、2025年に75周年を迎えました。祖父が宇都宮市で立ち上げた小さな印刷会社が始まりで、私が3代目です。
2代目の現会長はオフセット印刷やデザイン部門を立ち上げ、印刷だけでなく企画やデザインまで請け負う会社へ発展させました。いわゆる昭和気質の経営者で、「俺たちはこうやってきた」という考えを大切にしてきた人です。一方で、印刷からデザイン領域へ事業を広げてきた手腕は経営者として本当にすごいと思います。
私たちの世代は「家業を継がない」という選択肢はあまり考えられない時代でした。よく言えば、何もしなくても入る会社が決まっている。見方を変えれば、自分で進路を選ぶ余地はあまりありませんでした。私自身、それが当たり前だと思っていました。
大学卒業後は、東京の株式会社ソニー・ミュージックコミュニケーションズ(現:株式会社ソニー・ミュージックソリューションズ)で製版を学び、その後、アメリカの製版会社に3年間在籍しました。
当時、印刷機の技術ではドイツが進んでいましたが、ビジネスの面ではアメリカが先を行っていたため、「3~5年後の日本を先に見てこよう」と考え、渡米しました。
アメリカでの3年間で気づいた、知らない店に入る怖さ。

初めての一人暮らしはロサンゼルスで、自分でアパートを借りて車の免許も現地で取得しました。家業に戻る前に経験を積むために現地の会社に受け入れてもらいましたが、特別扱いを受けるのではなく、一人のワーカーとして働きました。
深夜や早朝のシフトもあり、ピクサー・アニメーション・スタジオやワーナー・ブラザース、ウォルト・ディズニー・カンパニーに関する仕事を手がける会社で、さまざまな現場を経験しました。新しいネット事業が始まる時期でもあり、「これからはこういうビジネスが伸びる」という話を聞けたのも、この頃です。
特に印象に残っているのは、現地で気になる店を見つけても、なかなか入れなかったことです。どんな店なのか分からず、「入っても大丈夫だろうか」と考えると、興味はあっても一歩を踏み出せませんでした。
これは日本でも同じではないかと気付きました。近所に店はあっても、行くのは決まった10軒ほど。新しい店に入るのには心理的なハードルがあります。
口コミがあれば、そのハードルを下げられるかもしれない。良い口コミがあれば、安心して店に行ける。この発想が後の「栃ナビ!」につながりました。
悪い口コミは載せない。立ち上げ以来変わらない「栃ナビ!」の方針。
私が家業に戻ったのは1999年の終わり、インターネット時代の入り口でした。翌2000年、クチコミタウン情報サイト「栃ナビ!」を立ち上げました。当時の「口コミ」には、クレームなどのネガティブなイメージが強くありました。
「栃ナビ!」には、立ち上げ以来変えていない方針があります。掲載するのは、お店の魅力が伝わる前向きな声だけです。悪い口コミは表に出さず、店へ伝えて改善につなげてもらう。誰かを傷つける仕組みにはしたくありませんでした。負の循環ではなく、幸せの循環を生み出したい。それが基本コンセプトです。
社名を変えたのも2000年です。印刷会社ではなく、地域の店と人、人と人をつなぐ会社になりたいと考え、「印刷」を外してヤマゼンコミュニケイションズとしました。現在は印刷に加え、ウェブやイベントなどへ事業領域を広げ、お客さまや地域の魅力を引き出し、人と人、企業と地域をつなぐ仕事に取り組んでいます。
現在掲げている企業理念は「役に立つ、その先へ。」、ミッションは「地域価値を発見し、つなげて、幸せの循環をつくります」です。目の前のお客さまだけでなく、その先にいる人や地域にも良い影響を広げたいという想いを込めています。「栃ナビ!」で大切にしてきた「幸せの循環」という考え方が、現在の理念にもつながっています。
周囲の反対を受けながら続けた、「栃ナビ!」立ち上げ期の挑戦。

「栃ナビ!」の立ち上げ期を私は「暗黒の時代」と呼んでいます。当時、印刷事業は大きな利益を生む主力事業でした。そこから収益の見えないインターネット事業へ挑戦することは、社内でも理解されにくいものでした。
現会長に相談すると、「よく分からないけれど、やってみたらいいんじゃないか」と背中を押してくれました。社内の数名でプロジェクトを立ち上げましたが、4~5年間は人件費や広告宣伝費、システム開発費への投資が続き、単体では赤字でした。
「社長の息子の道楽だ」「遊びみたいなことで儲かるわけがない」と言われ、協力を求めても後ろ向きな反応が少なくありませんでした。当時の営業部長が反発して退職したこともあります。
それでも、自分が始めた以上はやめられませんでした。6年目頃から良質な口コミが集まり、有料サービスも伸び、継続的に収益を生む事業へ育っていきました。
会社に集まる人も変わりました。印刷経験者ではなく、「地域のために何かしたい」という若い人が増え、新卒応募は200~300人規模になりました。新しい事業が新しい仲間を呼び込んだのです。
印刷からデジタルへ。「7つのシンカ」で描く成長戦略。
現在の売上の内訳は印刷が50~55%を占め、「栃ナビ!」とその他のウェブ事業がそれぞれ15~20%となっています。印刷は数億円規模の設備投資が必要な一方、単価は1枚あたり何銭という世界です。
今後は設備投資ができる会社への集約が進むと考えており、当社のような中小企業は、小ロット・多品目のデジタル印刷へ軸足を移す必要があります。
こうした変化を踏まえ、2025年に中期経営計画「7つのシンカ」を掲げました。表現力を磨く「心化」、企画力を高める「真化」、新たな価値を生む「新化」、インフラとしての役割を担う「進化」、クリエイティブを深める「深化」、社員の成長を支える「伸化」、公正で誠実な文化を築く「信化」です。
2028年には、現在の約1.5倍となる売上規模を目指しています。ただ、数値以上に大切なのは人です。「心が前向きであれば、人は自然と学び続けられ、その結果としてシンカしていく」と考えています。
私は毎日、社員に向けて日報を書き、市場や経済の動きも伝えています。今後は評価制度や賃金体系も見直し、「どうすれば成長できるのか」「どのような行動が評価につながるのか」が分かる組織へ変えていく考えです。
社員の挑戦を後押しするため、社内では「何も否定しない」ことを大切にしています。旧社屋の活用案から生まれたロボット塾には、現在約120人の子どもたちが通っています。「栃ナビ!」を探求型のサービスへリニューアルするプロジェクトも、提案した27歳の社員がリーダーを務めています。「まずは手を挙げて挑戦してほしい」と伝え続けています。
地域から全国へ。企業や行政とともに、新しい価値を生み出す。

2026年4月、富士フイルムビジネスイノベーションジャパン株式会社と連携し、全国展開する新事業「スタンショット(StanShot)」を始めました。キャラクターなどのコンテンツを活用した推し活市場のプラットフォームで、印刷技術を持つ全国の会社の力を生かす仕組みです。
原点は2009年に社員の発案で始まったフォトブック事業です。小さな挑戦でしたが、長年蓄積したノウハウが評価され、全国規模の事業へ発展しました。新しい価値は現場の挑戦から生まれるものだと実感しています。
2024年3月には栃木県、2026年1月には宇都宮市と包括連携協定を締結。目指しているのは自社だけでなく、地域の企業や行政とともに課題をビジネスで解決し、その成果を地域へ還元する「ローカル・ゼブラ企業」です。
求めるのは、前向きで明るく、実直に努力を続けられる人です。他者の意見を素直に受け止め、必要であれば自分を変えられる勇気を持つ人。栃木へ戻るきっかけを探している方にも、私たちのことを知っていただきたいですね。
地域が豊かになる未来を一緒に描き、挫折があっても諦めずに成長できる方と出会えたらうれしいです。